人形と私 宮崎郁子
10歳の時、私は初めて人形を作った。そして、今日まで途切れることなく作り続けている。
子供の頃、父の机の引き出しに入っていた小さな人形が欲しかったがもらえなかった。その人形は、戦時中の慰問袋に入って、戦地の父のところに届いたものであり、その後、ずっと父の心の支えとなっていたものであった。その時から、人形は私にとって特別な意味を持つようになり、見よう見まねで人形作りが始まった。
人形は玩具ではない。人形ほど、「私」自身を理解してくれるものはない。いつも人の傍らにひっそりと寄り添ってくれる祈りの存在でもある。
私は、エゴン・シーレ作品に初めて接したとき、これが絵画であるということさえ、まったく忘れ、私自身のように感じ、生きるのが苦しかった青春時代がよみがえってくるのを感じた。まるで「私」自身を理解してくれる人形のように。そうして、私のシーレ人形作りは始まった。
(中略)
書店で初めてシーレ画集に出会った1995年には、阪神淡路大震災があり、オウム事件も起こった。そして、2011年3月11日、世界中に大きな衝撃をあたえた東日本大震災とそれに伴う福島原発事故が起きた。世界中で紛争やテロも絶え間ない。以前にもまして生きる意味を問い詰められている気がしている。
シーレが生きた時代も世の中の大きなうねりの中にあった。もがきながらも懸命に生き、第一次世界大戦終結直前に未来に希望を抱きながら、28歳のシーレは、スペイン風邪に罹患し、この世を去った。
今、私はシーレが未来に託したものを形にできればと思っている。シーレ没後100年にあたる2018年、シーレゆかりの地での個展を目指して!
宮崎郁子作品集「Die Augenstamme 樹の瞳」(2013年発行)より
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