LVRFI 3
長谷川繁  紫牟田和俊  O JUN  野村和弘  宮嶋葉一
SH IGERU HASEGAWA  KAZUTOSH I SH IMUTA  O JUN  KAZUH IRO NOMURA  YOICH I M IYAJ IMA


2013年5月24日(金)〜7月14日(日)

A.M.10:00-P.M.6:00(入館はP.M.5:30まで)
毎週:月・火休館
入館料/通常料金 500円

助成:公益財団法人 朝日新聞文化財団

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※ブログをはじめました。美術館からのお知らせや日々の様子をお伝えします。
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 ワケあって、R はI の仕事を時々覗いている。絵描きのI は、目下制作の真っ最中だ。それもいよいよ佳境に差しかかっているようで、画面もアトリエの空気も熟れたように熱く膨らんでいる。R も絵描きだが、自分の絵の進捗状況やそれが終わりに近づいているというのはなかなかわからないものだ。描き終わってみれば、夢のようにも、綱渡りのようにも思えるが、実際は退屈で遅々とした作業の連続で、終わりはいつだって不意にやって来る。人の絵の一部始終を覗き見る行為は怪しからんことではあるが、そうないことだと得をした気持ちもある。描いたものがそれ以上のものに変化(へんげ)するようなあやかしは決して起こらないが、描いたことは間違いなく映っているのだとあらためて思った。

そんな当たり前のことを絵描きはアトリエで骨身にしみて味わうので、彼の生はそこで充分に全うして終わっている。もう一人の絵描きのL もおそらく同じではないか。最小単位の描きでほとんど無駄なく寄り道せず、誰よりも最短距離で「絵」に届いている。これは奇跡を起こすことよりも難しいことでR の想像を超えている。おお、I の絵に今まで見たことがないような染みが浮いている。次第に大きくなっているようにも見える。これも想定外だ。I は、この始末をどうつけるのだろう…?そして、一体いつ筆を置くのだろう。置くと言えば、F の作品をちょっと前に某所で見た。黒っぽい立体物がごろんと投げ出すように床に置かれていたが、その放置の様があまりに見事で、以来胸に刻まれて忘れられない。F は、かけがえのないものをしまう容器をとても丁寧につくりながら、底を抜く。F はいつもそういう"サプライズ"を用意するので、泣いていいのか笑えばいいのか…。だけど、本当のオドロキは、かけがえのないものが底を抜かれた器の中に依然としてあることだ。V からR に春も間近いある日、一枚のテキストが送られてきた。それは、蝉の狂気と不気味さについて書かれていた。Vは、あることを蝉の抜け出た穴に試みた。そのことによって得られた興味深い事実はしかし、V の書き起こしたテキストの方が圧倒しているはずだ。R がその興味深い事実を見てもいないのに言い切れるのは、V の言葉によって"それは最早自らに辿ることは不可能であるが、つくられた(書かれた)ものによってこそ、A〜Zは覚醒し、彼らを取り囲み執拗に苦悩を強いる現実を圧倒することが可能なのだ"と勇気づけられたからだ。
 さあ、覗きをやめて直ちに仕事に戻れ!さもないと、胸がつぶれそうだ…とR はビビっている。LVRFI3を、夜露死苦。

O JUN (画家)  2013/05/12

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