今回第三回になる「アテンプト」に登山博文、ハンス・ベンダ、森千裕の三人を挙げた理由は彼らの展覧会を観てみたいという思いは勿論だが、本意はまた別なところにあるのだ。この三人は、僕がいつかそれぞれと真剣勝負をしたいと望んでいる画家たちなのだ。"勝負"などとアートの世界でオカシいと笑うかもしれないが、アートは人とモノがぶつかって衝撃し合う世界のことだから、やはりそれらが真っ向相対したら斬った張った勝負の世界になるのだ。
登山博文は、人の顔くらいのものからその人一人くらいが暮らせる部屋くらいの大きさ(絵の大きさにしたら巨大だということだ)の画面にビルや見開きの本、いろいろ描いているが、この画家にスケールやモチーフの意味を問うても始まらない。次々に恐ろしいスピードで描いては手裏剣のように僕らに投げつけてくるのだが、工業用塗料の含みのないキレイな色に眼眩まされながら僕らが観ているものは、「形」ではないか?「描き」というマッハの形ではないか。
ハンス・ベンダはドイツ人で、彼とはこれまで三度勝負した。が、いまだ勝負がつかない因縁の画家だ。彼は油彩で風景、人物、静物を描いている。人物だけがいつも裸なのでそこに違和と好奇を覚えるのだが、隣に並ぶ風景や静物画の中に描かれた丘や森、海、テーブルや花瓶、背後の壁もまた自らを隠すことなく"正体"を晒していることに何ら違和を覚えない僕の眼を、静かに、だがとても凶暴にえぐってくる。義眼を入れて次こそ決着をつけてやろう。
さて、森千裕は今回一番年若い作家だから斬るには忍びないが、実は一番手強い相手と踏んでいる。この作家は、寄る辺ないことに嬉々として、下敷きを使わずに字や絵を書いている。だから巷で見聞した種々を記述することにとても真剣だ。僕が見限ってきたもののほとんどに息を吹き込んでいる。−"お金の絵(猫が散財)"、"明るい夜(新しいバランス)"、"MIGI
VS HIDARI(フルーツと共に)"− 斬られるのは僕の方かも知れぬ。
この展覧会は、たとえば三叉路でばったり出会った三人がそれぞれの鯉口を切って一瞬身構えるのに近い。その間合いと殺気に立ち会うことは恐らく僕がこの中の誰かと果たし合う以上に恐ろしいことだ。しかし僕以外の者たちはこの殺気を心から楽しめるはずだ。
O JUN:画家(本展、キュレーション) |