ヨーゼフ・ボイス


1921 クレーフェルトの病院で生まれる
1940 クレーヴェのヒンデンプルク・ギムナージウムを卒業。ドイ ツ空軍に徴兵される
1943 冬−ポイスの乗った飛行機はロシア空軍機の追撃にあい、ド イツの戦線内に不時着する
        タタール人は負傷したポイスを脂肪とフェルトで包んみ8日間介護した
1947-51 デュッセルドルフ・クンスト・アカデミーのヨーゼフ・エンゼリンクとエーヴァルト・マタレのもとで彫刻を学ぶ
1951 個人パトロンのための作品制作を始める
        ファンデア・グリンテン兄弟は、ドローイングと木版画を 買い、ボイス作品をコレクションし始める
1952 最初の公立美術館での展示・ヴッパタール市立美術館
1958 クレーヴェのクアハウスにスタジオを移す。エーファ・ヴルムバッハと出会う
1961 デュッセルドルフ・クンスト・アカデミーのモニュメント彫刻科の教授になる
1962-64 フルクサス運動に参加する
1964 カッセルのドクメンタ3に参加する。1951年から56年にかけて制作した彫刻とドローイングを出品する
1966 アクション「コンサート・ピアノのための等質浸透、現代の最も偉大な作曲家はサリドマイド児である」
1968 カッセルのドクメンタ4に参加。出品作品はインスタレーシ ョン「室空間彫刻」*
1971 アクション「ケルティック+〜〜〜」(Celtic+〜〜〜)をバーゼルの防空壕で行う
1973 創造性と学際的研究のための自由国際大学の準備委員会を設立する
1976 ヴェネツィア・ビエンナーレにインスタレーション「市電停車場」を設置する
1977 カッセルのドクメンタ6にインスタレーション「作業場の蜂蜜ポンプ」を設置する
1979 ヨーロッパ議会の選挙に緑の党から立候補する。ニューヨークのグッゲンハイム美術館で大回顧展を開く
1980 ヴェネツィア・ビエンナーレに「資本空間」を出品する
1982 カッセルのドクメンタ7にてアクション「7000本の樫の木」をスタートさせる
1984 ボローニャ市の名誉市民になる。東京の西武美術館で展覧会を行う
1985 肺疾患から回復し、イタリアのカプリで最後のマルチプル作 品「カプリ・バッテリー」を制作する
12月23日、最後のインスタレーション「パラッツォ・レガー レ」がナポリの国立カポテオモンテ美術館で披露される
1986 ドゥイスプルク市よりヴィルヘルム・レームブルック賞を授賞される

1月23日、死去

*「室空間彫刻」(Raump1astik)・若江漢字訳


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